日本饮食文化之荞麦面

そばとは「そば切り」の略で、蕎麦粉で作られた麺食品の事です。そばにつゆをかけたり、浸したりして食べます。

荞麦面是用荞麦粉制作而成的面食。一般在荞麦面上浇上酱汁或者泡面吃。



そばにはわんこそば(岩手県)、信州そば(長野県)、にしんそば(京都府)など様々な種類があり、それぞれ各地の特色を生かした郷土料理として食されています。そばは米・小麦など穀類と比べると非常に栄養価の高い食べ物です。人間が生きていくのに欠かせないエネルギー源であるタンパク質を多く含み、イライラや食欲不振の解消に効果を発揮するビタミンB群を多く含んでいます。したがってそばはバランスよく栄養を含んだ優れた食品であると言えます。

荞麦面在日本各地都有不同的特色分类,比如岩手县的小碗荞麦面、长野县的信州荞麦面、京都府的鲱鱼荞麦面等等。荞麦面和大米、小麦等谷物相比,也是营养价值很高的食物。含有大量人类生存不可或缺的蛋白质,富含消除焦虑和食欲不振的维生素B群。荞麦面可以说是营养均衡的优质食品。



現在では機械で製麺したそばが多く流通していますが、そばの醍醐味はなんといっても「手打ちそば」です。手打ち特有のコシや味の深み(コク)は多くの人々の味覚を魅了しています。有名な手打ちそば店ではご飯時になるといつも行列ができる程、人々の人気を集めています。

虽然市面上有很多机器制作的荞麦面,但荞麦面还是手擀的才有味道。手擀荞麦面特有的筋道和醇厚的味道吸引了很多人。在有名的手擀荞麦面店里,一到吃饭时间总是排着长长的队伍,非常受人们的欢迎。



弥生時代にはすでに日本全国でそばの原料となるそば植物(タデ科)の栽培が行われていました。そば切りとして食べられるようになるまでは、脱穀したそばの実を雑炊にしたり、あわやひえなどの雑穀類と混ぜて食べていました。

弥生时代日本全国进行荞麦面原材料植物的栽培。以前还不会制作荞麦面的时候,日本人将荞麦果实制作成杂烩粥,和鲍鱼、鱼翅等混在一起吃。



江戸時代に入ると、うどんの技術に基づいてそば切りとしての食べ方が考えられました。そば切りは長野県木曾地方で発祥し、江戸へ伝わりました。その当時の江戸では、白米が流通するようになり人々の食生活が豊かになっていました。食生活が豊かになるにつれて栄養面が偏り、江戸っ子達の中で「脚気〔かっけ〕」が大流行していました。

进入江户时代以后,基于乌冬面的制作技术,日本人开始考虑制作荞麦面。荞麦面起源于长野县木曾地区,传到了江户。当时的江户,大家已经吃上了白米饭,人们的饮食生活也变得丰富起来。随着饮食习惯的改变,营养方面也出现了偏差,江户里开始流行“脚气病”。



しかし、「そばを食べている人は脚気にならない」と言われ、そばはうどんを凌ぐ勢いであっという間に町民達の人気を集めるようになりました。今でもその当時の名残で、関東ではうどん屋よりもそば屋の方が多く存在しています。

但是,据说“吃了荞麦面就不会得脚气”所以荞麦面势头赶超乌冬面,受到了大家的欢迎。所以到现在,关东的荞麦面店数量比乌冬面店还要多。



日本では大晦日や引越し時にそばを食べる風習があります。

在日本还有在除夕和搬家时吃荞麦面的风俗。


大晦日にそばを食べる風習は、江戸時代中期頃にはじまりました。

除夕吃荞麦面是从江户时代中期开始的。



「そばのように細く長く生きて寿命を全うし、家運が末永く続くように」「切れやすいそばのようにさっぱりと一年の苦労や災いと縁を切ろう」との願いを込めて、一年の最後の日である大晦日にそばを食べる風習です。

有说法是“像荞麦面那样细而长地活着,祈求长寿,家族长存”也有说法是“像容易咬断的荞麦面一样,痛快地和过去一年的辛苦和灾难断绝关系”所以在一年的最后一天,也就是除夕夜吃荞麦面。



引越の後、家主やご近所に挨拶のためにそばを配る風習は、江戸時代末期頃にはじまりました。

搬家后,为了向房东和邻居打招呼,分发荞麦面的习俗,是从江户时代末期开始的。



そば(近く)に越してきたことに引っ掛けて、「おそばに末長くお付き合いをよろしく」という願いを込めた風習です。

荞麦面在日语中读作「そば」,与日语中表示“旁边、相邻”的词语发音一致,所以寓意着能够作为邻居,长久地友好地交往。